広瀬絣特別展示

広瀬絣の始まりは、江戸時代後期の文政7年に町医長岡謙祥の妻長岡貞子が伯耆の国米子町から染織を伝授され、町内の女性たちに伝え広めたのが始まりとされていす。
大柄の絵模様を得意とし、藍一色に濃淡を交えて模様がくっきりと浮かび上がるように織り上げてあります。

無形文化財広瀬絣の「広瀬絣工房」の永田佳子さんの作品を紹介します
糸作りから藍染そして機織とすべて手仕事の作品です
先生は県の無形文化財の技能保持者の認定を受けておられます
 

すべて手仕事による本藍染めです
風合いは機械機よりさらっとした感じて着心地最高
広瀬絣の手機の第一人者 永田佳子さんの作品です
宝尽くしの大きい柄で広瀬絣の代表柄のひとつです
現物あります


すべて手仕事による本藍染めです
風合いは機械機よりさらっとした感じて着心地最高
広瀬絣の手機の第一人者 永田佳子さんの作品です
この柄は近くの富田川の風景を詠んだ歌を柄にしてあります
昔から広瀬絣には文字を柄にしたものがあったようです
現物あります

歌舞伎の演目 廿四孝 に由来した柄
 『本朝廿四孝』の<山本勘助住家の場>では、名軍師山本勘助の二人の息子、横蔵と慈悲蔵が、母越路に言われて雪中に筍を掘ります。これは二十四孝のひとり孟宗(もうそう)が真冬に筍が食べたいという老母のために、雪深い竹林へ分け入った話に因んでいます。孟宗竹という竹の名前も、この孟宗からきています。この柄は親孝行の息子が病気の母のために、冬場まだ土の中に埋まっているタケノコを掘って食べさせたという物語の柄です
受注で織ります


この柄も文字を図案化したものです
受注で織ります